ついこの前生まれたばかりだと思っていたKJももう先月1歳6ヶ月を迎えました。
そして、夫の記事にもありましたが、1歳6ヶ月を迎えたその日、もう胸をはって「おむつ卒業したね」と言える成長を見せてくれました。

今思う、「おむつなし育児」をはじめたきっかけ


このブログでもたびたびふれていますが、わが家は生後1ヶ月から息子を「おむつなし育児」で育ててきました。
なぜ始めたのか、それにはとくにこれといったきっかけはありませんでした。
なんとなく直感ではじめた、というのは、おむつなし育児アドバイザー養成講座を受講しました の記事でも触れた通りです。
生まれたときから「赤ちゃんは自分の意志で排泄できない、だからある程度成長するまではおむつに排泄させるのが当たり前」という考えのもと、24時間、お風呂のとき以外、三歳くらいまでずーっとおむつの中で排泄させるのが当たり前になっている最近の育児。(今ではおむつはずれの年齢は平均3歳を超えるとのことです)
昔とは家庭のありかたが大きく変化しましたし、早くからトイトレをはじめるなんて赤ちゃんがかわいそう、という意見もあると聞きます。(※おむつなし育児はトイトレとは非なるものなのですが)

それでも、なんだか、そういう現状に「?」が浮かび、自然とおむつなし育児を選択したのはなぜだろうと考えると、やはり自分が母からそうやって育てられたからという「自分自身の体験」が大きいように思います。(もちろん覚えているわけではないんけど)

母に「おむつなし育児してるんだ」というと「おむつなし育児?」と不思議そうでしたが、「ああ〜、当たり前にしていたから、昔はそんな言葉なかったわよ」と自分のやってきたことを教えてくれました。

が、遠い記憶であまり覚えていないとのことだったので、詳しくは当時の(私が赤ちゃんの頃の)育児日記を帰省のたびに読ませてもらいました。

親の「勘」を育てるもの・親子の「絆」を深めるもの

▲おじいちゃんと。
これはおむつかな?パンツかな?
多分いまのKJと同じくらいの月齢の私。


【朝食の準備中、なんだかウンチしそうだと思ったからトイレに連れて行ったらやっぱり出た。】
【図書館の奉仕作業の時に6、7度おしっこに連れて行った。なかなか作業が進まなかったけど仕方ないか〜】
なにかやりつつも、いつも私が気持ち悪い思いをしないように常に気をつけていた母の姿が日記には書かれていました。


私は三人きょうだいの末っ子。
年は離れているとはいえ、上二人の兄姉の世話やら学校行事やらいろいろとせわしない毎日を送りながらも、私の排泄にもきちんと目を向け心を配ってくれていた母の記録を読むごとに、私は嬉しくなっていきました。(ちなみに私は1歳9ヶ月くらいでおむつがいらなくなっていたようです)



いつも母から向けられる意識を感じながら、安心して育っていった自分。
そんな母は昔から本当に勘が鋭く、母にはすぐばれてしまうので隠し事ひとつできませんでした。
心配させまいと黙っていても、
「学校でなにかあった?」と聞いてきたり。
それは離れて暮らすようになってからも変わりませんでした。
落ち込んでいるときに「なんだか、夢にでてきたのよね〜」と急に電話がかかってきたり。

極めつけは、KJを出産した日。
予定より10日近く早く陣痛が来たあの日。
まさかその日に陣痛がくるとは誰も思わず、友達とお昼ご飯を食べるために出かけていた母に電話をしようと携帯を手にした瞬間向こうから「今帰ってるからね!」と電話がかかってきたときは「なんでわかったの〜???」と涙が出てきました。

うちの母までとはいかなくても、私もKJにとって「お母さん、やっぱりわかってるなぁ!」と思ってもらえるような母さんになりたい。

おむつなし育児がそのすべてをかなえるかというとどうかわかりませんが、母が子に常に気持ちを向けるという基本。
そして親子関係の基礎の基礎、人としての土台が、この1年半で築けてきたようなそんな気がしてならないのです。




ちなみに、わが家では夫も積極的におむつなし育児をしてくれているので、母だけでなく父と子の絆も半端なく強い気がします。



楽しすぎた「おむつはずし」の1ヶ月


「おむつなし育児」とはずーっとおむつをしていないのではなく、基本はおむつをつけながら「しそうだな」と思うときにおまるやトイレでさせてあげるというものですが、1歳を過ぎ歩けるようになり、そしてあたたかくなってきたこの時期、「おむつはずし」つまり「本当のおむつなし育児」をはじめるにはもってこいの季節になったので、ちょっと前から「5月の帰省からもどったらもう外してしまおう」と、夫と計画していました。

はずす、というのは、もう二度とおむつにもどらない、ということです。
もちろん、最初は漏らします。それはそれは、もうとことん落ち込むほどに(笑)
実際最初の一週間はそりゃあもう凹みましたよ。
しかも、おトイレやおまるに誘っても断固拒否!(これまではやってくれてたのに!)
…ああ、どうしよう。

でも、案ずるより産むが易し。

「漏らされちゃこまるな」という思いを捨て、親が覚悟を決めドーンと構えたとたん、自分が行きたいときは行ってくれるし、行きたくないときはいかないとはっきり意思表示するように。
こちらが、「ここではおしっこ我慢してほしいの」とお願いすると我慢してくれる。
そして、そのうちお漏らしした直後に教えてくれるようになり、それが「おしっこしたいよ」と事前に「ちっち」と言って報告してくれるようになりました。

ものすごいスピードで成長する我が子をみていると、もううれし涙が止まりませんでした。

親子三人で一喜一憂したこの一ヶ月。
よろこんで抱き合った日のことも、ひとつひとつが忘れられない出来事へと変わりました。
毎日が感動でした。



そして排泄の成長もそうですが、同時に赤ちゃんからどんどん「子ども」へと成長していったKJ。
言葉こそまだまだしゃべれませんが、私たち家族はもう、三人で「会話」ができます。
KJの考えていることが私たち夫婦に手に取るようにわかるのです。

おむつはずしをして、こんなにもたくさんのことを得られるなんて思ってもいませんでした。
大変じゃなかったとはいいませんが、「楽しい」のほうがはるかに「大変」を上回っていたのです。

何度も言っていますが、一緒に楽しんでくれた夫。
そしてKJに感謝の言葉しかありません。


一般的な「おむつはずれ」=「排泄の自立」というのは自分でトイレまで行ってズボンとパンツをおろして、便座に座って、用を足して、水を流して…というところまでできて、ということになっていますが、それは1歳半なのでもちろんまだ全部はできません。おもらしだってゼロではありません。
でも、もうKJにおむつは必要ないのです。

それだけで、まだ梅雨が明けてなかったのに、私たち家族は晴れやかな気持ちでいっぱいになりました。




(妻)









お読みいただきありがとうございます。
下のボタンより応援いただけると励みになります!