こんにちは、夫です。
生後二ヶ月の頃から、妻の発案により始めたおむつなし育児。
おむつの中に排泄させるのではなく、親がトイレに連れて行くなどして、できるだけおむつの外に排泄させようという育児方法です。
その甲斐あって、このほど、ちょうど1歳6ヶ月を迎えた日に、KJはおむつを卒業。
トイレに行きたいときは事前に「ちっちー」と教えてくれるようになり、パンツを脱がして便器の上に立たせると、自分でしっかりおしっこをして、ぼくが「出たねー」と言うと拍手をして喜ぶようになりました。
これだけでも親としては相当誇らしいことなのですが、それ以上に嬉しいのは、KJが穏やかで、物わかりの良い子に育ってくれたこと。
おむつなし育児をしている子は穏やかな子が多いというのはよく耳にしていましたが、今までそれがなぜなのかよくわかりませんでした。なんでおむつの外に排泄させてあげるってだけで性格まで変わるんだ、と。
でも、KJのおむつが外れるまでの様子を見ていて、なんだか腑に落ちたような気がしました。
半年以上前だったか、KJが床にお漏らししてしまったとき、自分の足下にできた水たまりを不思議そうに見つめていたことがありました。きっとまだそれが自分の身体から出たものだとはわからなかったんでしょうね。
それが、ぼくに抱きかかえられながらトイレでおしっこを しているとき、自分の身体から出ているということを興味深そうに見つめるようになり、やがて、ぼくに「ちっち」とトイレの事前報告をしてくれるようになった。
排泄ってつい汚いものだってないがしろにしがちですが、本当は食事や睡眠と同じかそれ以上に人間の営みの根本をなすものです。
赤ちゃんは、本能的に食事や睡眠の必要性や正体はなんとなくわかってる。でもKJを見ていると、排泄については感覚こそわかるものの、それがなんなのかは自分でもよくわからん……というのが1歳くらいまででした。
そんな、自分自身が理解するずっと前から、自分の身体の大切な出来事に親が興味を持って向き合ってくれていた……ということが、きっと彼にとって大きな安心になったんじゃないでしょうか。
そして、いついかなるときも親が「いつ出るんだ……」と常に息子に気を配っている習慣が、子どもにとっての充足感に繋がったのかもしれません。
一日のうちで、何度も何度も遊びを中断してぼくや妻のところに「ちっち」と呼びにきてくれるのは、信頼の証。ぼくや妻が体調を崩して一緒に遊べなくてべそかいてしまったときも、理由を説明したら「うん」と言って一緒に寝てくれるのも、きっと深い部分で繋がることができたからなのだと思います。
「おむつなし育児」が、「おむつなしトレーニング」ではなく、「育児」と呼ばれているのは、きっと排泄を通じて彼の心と親との絆をも育むからなのかもしれませんね。
事前に「ちっち」と言ってくれるようになるまでは、親がタイミング見計らって連れて行くので、「そろそろじゃなーい?」 とトイレに誘い、出たときは一緒になって喜ぶ……みたいな感じで、なかばゲーム感覚で、家族三人笑いながらやってましたけど。。。
おむつなし育児、やってて良かったなぁ。
出会わせてくれた妻に感謝。
……ちなみにその出会わせてくれた妻はというと。
以前このブログでもあったように、おむつなし育児アドバイザーの資格を取得し、
『まいにちおしりケーション』というコミックブログも開設・運営するハマりよう。
毎度毎度、この人の行動力には頭が下がります。
生後二ヶ月の頃から、妻の発案により始めたおむつなし育児。
おむつの中に排泄させるのではなく、親がトイレに連れて行くなどして、できるだけおむつの外に排泄させようという育児方法です。
その甲斐あって、このほど、ちょうど1歳6ヶ月を迎えた日に、KJはおむつを卒業。
トイレに行きたいときは事前に「ちっちー」と教えてくれるようになり、パンツを脱がして便器の上に立たせると、自分でしっかりおしっこをして、ぼくが「出たねー」と言うと拍手をして喜ぶようになりました。
これだけでも親としては相当誇らしいことなのですが、それ以上に嬉しいのは、KJが穏やかで、物わかりの良い子に育ってくれたこと。
おむつなし育児をしている子は穏やかな子が多いというのはよく耳にしていましたが、今までそれがなぜなのかよくわかりませんでした。なんでおむつの外に排泄させてあげるってだけで性格まで変わるんだ、と。
でも、KJのおむつが外れるまでの様子を見ていて、なんだか腑に落ちたような気がしました。
半年以上前だったか、KJが床にお漏らししてしまったとき、自分の足下にできた水たまりを不思議そうに見つめていたことがありました。きっとまだそれが自分の身体から出たものだとはわからなかったんでしょうね。
それが、ぼくに抱きかかえられながらトイレでおしっこを しているとき、自分の身体から出ているということを興味深そうに見つめるようになり、やがて、ぼくに「ちっち」とトイレの事前報告をしてくれるようになった。
排泄ってつい汚いものだってないがしろにしがちですが、本当は食事や睡眠と同じかそれ以上に人間の営みの根本をなすものです。
赤ちゃんは、本能的に食事や睡眠の必要性や正体はなんとなくわかってる。でもKJを見ていると、排泄については感覚こそわかるものの、それがなんなのかは自分でもよくわからん……というのが1歳くらいまででした。
そんな、自分自身が理解するずっと前から、自分の身体の大切な出来事に親が興味を持って向き合ってくれていた……ということが、きっと彼にとって大きな安心になったんじゃないでしょうか。
そして、いついかなるときも親が「いつ出るんだ……」と常に息子に気を配っている習慣が、子どもにとっての充足感に繋がったのかもしれません。
一日のうちで、何度も何度も遊びを中断してぼくや妻のところに「ちっち」と呼びにきてくれるのは、信頼の証。ぼくや妻が体調を崩して一緒に遊べなくてべそかいてしまったときも、理由を説明したら「うん」と言って一緒に寝てくれるのも、きっと深い部分で繋がることができたからなのだと思います。
「おむつなし育児」が、「おむつなしトレーニング」ではなく、「育児」と呼ばれているのは、きっと排泄を通じて彼の心と親との絆をも育むからなのかもしれませんね。
事前に「ちっち」と言ってくれるようになるまでは、親がタイミング見計らって連れて行くので、「そろそろじゃなーい?」 とトイレに誘い、出たときは一緒になって喜ぶ……みたいな感じで、なかばゲーム感覚で、家族三人笑いながらやってましたけど。。。
おむつなし育児、やってて良かったなぁ。
出会わせてくれた妻に感謝。
……ちなみにその出会わせてくれた妻はというと。
以前このブログでもあったように、おむつなし育児アドバイザーの資格を取得し、
『まいにちおしりケーション』というコミックブログも開設・運営するハマりよう。
毎度毎度、この人の行動力には頭が下がります。