先日、友だちから「二人目(の子ども)は考えてる?」と聞かれて、そういえば、子どもを何人欲しい、みたいな人数で考えたことがないな…と改めて思いました。


とても個人的な話ですが、なによりぼくたちが忘れないためにも記事にしようと思います。

ぼくたちの子作りはちょっと順序が変わっていて。
結婚してからなかなか子どもを作る気になれなかったぼくたちですが、試しに未来の子どもの名前を考えてみたところ、想像が膨らんで、「なんだよそいつ超逢ってみたいじゃん」と、急に我が子と逢ってみたくなった。

つまり、
  1. まず最初に名前が決まった
  2. その数ヶ月後に妻のお腹に命を授かった
  3. 彼が生まれた
という流れだったんです。

子どもが欲しい、ではなく「この名前の似合う人に早く逢ってみたい」


彼の名は、彼が生まれる年の2月、京都で妻と二人で決めました。
眠る前の明かりを消した真っ暗な部屋の中で、 妻が音を提案し、そこにぼくが漢字を載せました。

名付けの本とか辞書とかをいっさい見ずに、自分たちの中にある言葉と世界観だけで作り上げようとしたのですが、とてもスムーズで、ほんの15分くらいで決まったように思います。

だからって別に適当に決めたわけではなく、短い時間で、これ以上ないくらいいとおしいアイディアが降りてきたのです。それ自体も、今思えばきっと「頃合い」ってことだったのかもしれません…。

名前が決まり、その名前をコモリ…とフルネームで口にしてみると、不意にその人が側に居る未来がイメージされて。
「この名前の似合う人に早く逢ってみたい…」と思うようになり、コウノトリに連絡をしたのでありました。

名前が決まったとたん、なんかもう新しい命を授かってしまったような気がしたぼくたちは、彼の命がやってくる以前から、空に向かって「待ってるよーKJ」と呼びかけていました。そんなわけだから、息子・KJとの付き合いは、彼の年齢よりも約1年多いのです。ちょっとヘンですよね…知ってます。。。

普通は赤ちゃんが欲しい・子どもを育てたい、と思って子どもを授かるところなんですが、ぼくらはその段階を完全にすっ飛ばしてしまって、最初から「KJと一緒に暮らしたい」というモチベーションで居たのです。

お空に向かって広告を出しました


もしも、新しい生命が空から降りてくるものなのだとしたら、「我が家に来ていただいた命には、もれなく●●(KJの本名)という名前がその名前の意味・由来とともに与えられます。この名前の似合う人生と世界観に魅力を感じた方はぜひ来て下さい」と、空に向かって広告を打って、賛同する人に来てもらった…みたいな感覚です。

名前は生まれた子の顔を見て決めるのが一般的だから、きっとぼくらが決めた名前とその意味・世界観が嫌な命は宿らないよね。むしろ「いいね!」と思ってくれる命が来てくれるんじゃないかな、みたいな。

だからKJという人は、わざわざぼくたちの元を選んできてくれたんだって。
ぼくも妻も、そういう風に、思っています。
おとぎ話みたいな話ですが、大の大人が、わりと真剣にそう思っています。


お腹の中にいるときから、その前から、ずっと同じスタンスで接してた


最初に名前が決まってて、なんとなく「KJってこんな人かなぁ…」と想像してたから、お腹の中にいるときから、その前から、ずっと同じ人に向かって同じ態度と姿勢で接することができていた。

最初はお空に向かって「KJー」と呼びかけてたのが、妊娠がわかってからは「KJ、お腹の中は気持ち良いかい?」とお腹に向かって話しかけることに変わり…
そして出産したときの第一声は、「やっと逢えたね、KJ」だった。

妻が出産時の記事で「ずっと文通して仲良くなったペンパルと初めて対面したような気分に似ている」 と書いていたけど、本当にそんな気持ちでした。
初対面ではなく、KJは、ずっと前から知っている人だった。

ずっと前から来てくれることがわかっていた、●●(KJの本名)という名の似合う人と、ようやく直接会うことができた。そういう感覚です。

こんな風に、胎児の頃から、ずっとKJという同じ人として接することができたのは、やはり最初から名前が決まっていたからだろうな…と思います。

「KJはぼくたちとぼくたちの付けた名前を選んできてくれた」という感覚で彼を迎え入れられたのは、いま、子育てをしていてとても効いています。

彼に選ばれた、ということが、ぼくたち親の自信に繋がり、彼が選んできてくれたということが、彼をぼくたちが無条件に信じる糧になっているからです。
不安になったり、見失ったりすることなく、ぼくたち親はぼくたちらしくKJと接することができ、きっとそうすることがKJも一番幸せなんだと信じて行動できる。

心配しなくてもKJはきっと良い奴に育つよ、ぼくたちの好きなものを愛し、大切にする子になるよ。だって、ぼくらが求めていた最高の新メンバーだもの。

自然とそう思い、どっしり構えていられることの大きさを、日々感じています。

名前を最初に決めたときは、まさかこんな副産物があるなんて想いもしなかったけど、今となっては、名前を最初に決めていて、本当に良かったと思います。

KJを呼び、KJが来てくれたから、ぼくらは今、親になれて彼を育てることができている。
最初に名前を決めた瞬間、もう命が宿ったようなあの感覚が、ぼくたち親子に、深い絆を育んでいるような気がします。

いつか、KJが思春期だの反抗期だのを迎えても、今まで感じてきたこの想いはずっと大事にしたい。
この想いがある限り、こちらもきっとブレない親でいられるだろう。そう思います。


最初にあった友人からの質問。ぼくはこう答えました。
「また逢いたいと思えるような名前が浮かんだら、そのときに考えるつもりだよ」と。


(文・夫)






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